ればたらブログ

真鯛釣りをメーンにLINEを通した友達作りに勤しむアクティヴ爺さんの気まぐれブログ。

ANK〜い倶楽部

久しぶりの『ANK〜い倶楽部』

ANK~い倶楽部の集まりと言う事で、久しぶりに仙台市中心部まで出掛けた。

わずか3人だけのメンバーだから、倶楽部と言うほどのものでもないけど・・・・。(笑)

ANK~い倶楽部(あんき〜いくらぶ)は、もともとFANK〜い倶楽部(ファンキーくらぶ)と名乗っていたゴルフ好き4人の集まりで、苗字の頭文字を組み合わせた名称である。

語呂合わせが良いので気に入っていたのだが、いつからか最高齢だったFさんが退会した事で現在のANK~い倶楽部となった。

そんな倶楽部もすでに発足21年以上経過した。

4人で始めてから21年以上だが、前身のゴルフ同好会から数えると、もっともっと若い時期に出会っている仲間達だ。

若かったメンバーも、A君72歳、N君74歳、そして吾輩・・・・まもなく76歳!。

仙台で某会社の支店長だったN君は元々東京在住で、仙台を離れてから年に数回だけゴルフの為に出掛けて来るリッチマンだし、A君は年間60回以上プレーするゴルフ命のシングルプレーヤー。

そんな彼らを相手にプレーを楽しんでいたのだが、吾輩が体調不良でゴルフを休止した2015年を最後に3人でのプレーはしていない。

その後はN君が仙台に来た折に時々集まって一杯やった事はあるけど、LINEで年賀状のやり取りするぐらいでしかなかった。


そんな状況下、久しぶりにA君からLINEに誘いの連絡!。

君が仙台へ出向いてくるようだから集まらない?」との内容だった。

断る理由も都合も悪くないから勿論OK!。暇だし・・・・。

ルンルン気分で街中へ繰り出した。

今回も、待ち合わせ場所は一番町三越前。

風貌の変化に加え、お互い帽子にマスク姿だから確認に手間取ったよ。(笑)

直ぐ近くのランチ・昼飲みも出来る居酒屋を予約していたA君の後ろに続く。

2時間飲み放題+セリ鍋を堪能し、久しぶりの再会に話が弾んだ。

昼間の呑み放題が良かったかどうかは、今でも疑問に残ってま〜〜〜す。

僅か2時間程の再会ではあったが、また機会を作って会う事を約束して散会した。

やっぱり、年齢は違えど友達が居るって事は素晴らしい事だと思う。

帰宅後、前回3人で集まったのがいつだったか調べてみた。

自分の記憶では昨年か1昨年だったと思っていたけど、何と!2019年の12月18日だったのだ。

A君の自宅で焼肉をいただいた時だ。

丁度4年前だった。

光陰矢の如し、時の経つ速さを思い知った瞬間でもあった。

・・・・と言う事は、つまり、電車で街の中心部へ出掛けたのが4年ぶりだったんだなぁ〜。

ガーン・・・・・・・・・・・・・・。

楽天球場がある宮城野原までは何回も行ってたんだけど・・・・。












久しぶりの国分町!

昨日は久しぶりに仙台中心部・国分町へ出掛けた。

江戸のエロちゃんがやって来ると言うので、3人で一杯飲む事になった。

もう14年近く継続して来た3人だけのANK〜い倶楽部の為にわざわざ東京からやって来るエロちゃんの為に・・・・。

東京からのこのこやって来る彼の予定表に左右されるのは当然としても、交通事故に遭ったり体調不良になったりして最近は大部回数が減って来ていた。

何しろ、昨年も一昨年もゴルフをやったのは一度だけだったのだから・・・・。

それでも、我々仲間の為に仙台までやって来るエロちゃんは偉い!。

そんな久しぶりにやってくると言うのに、今回は吾輩の体調不良でゴルフする事が叶わなかった。

昨年10月29日のK・11会で痛めた右肩痛が要因で、クラブを振れない吾輩が辞退を申し出たからだ。

真鯛釣りやボウリングではそれなりに動かせるんだが、使う筋肉が違う・・・・ってか?。

まったく遺憾ではあったが、ただ、「ゴルフは出来ないけど、夜は付き合うよ!」とメッセージを入れていた事で飲み会だけは実現したのだ。

ゴルフは出来なくとも、たまたま他の用事で予定通り来仙した彼を迎えて、3人での飲食は楽しいものがあった。

CA3H0002

彼の故郷、石川輪島の名産舳倉島の塩!をお土産にもらった。

前にも貰ったことがあるんだけど、てんぷらや野菜サラダに最高!、ホントに美味い塩なんだよ。

台風10号の接近で結果的にゴルフは出来なかったようだが、また元通りのANK〜い倶楽部に戻れる事を願い治癒に励むしかない。

1年3か月ぶりの「ANK〜い倶楽部」!

先日、「ANK〜い倶楽部」が1年3ヶ月ぶりに再開された。

まぁ、〇〇・・・倶楽部と言うと、物凄い大きな集団に聞こえるかも知れないけど、メンバーの頭文字を並べたわずか3人だけのゴルフ愛好会である。(笑)

その3人だけの「ANK〜い倶楽部」が昨年7月以来久しぶりに活動したのだ。

東京在住のNさんこと『江戸のエロちゃん』が交通事故に遭った事でしばらく休止していたのだが、「今年は多分駄目だろう!」と思っていた吾輩ともう一人のメンバー『帝王』こと進ちゃんは、突然の電話にびっくりしたの何のって!。ホントに突然だったのだから・・・・。。

まだリハビリ途中とは言え回復の速さにも驚いたが、我々とゴルフをする為に東京から出掛けて来る彼のバイタリティにはもっと敬意を表したいよ。
2002年から始まったこの会も今年で13年目を迎えたけど、毎回東京から出掛けて来たエロちゃんには頭が下がりま〜す。年間5回ぐらいは来ていたから、さすが上場会社取締役のなせる業だなぁ。

この会の設立当初は「FANK〜い倶楽部」、つまり我々の他に山形のFさんを加えた4人でプレーしていた。
しかし、数年後にFさんが体調不良で抜けた後、Zさんが新しくメンバーとなって「ZANK〜い倶楽部」と名を変えた事もあるのだ。
それからしばらくして諸々の理由でZさんが抜けてからはずっと3人だけとなっている。

この「ANK〜い倶楽部」を今後も継続させていく考えを共有しているわれわれなので、これからも身体が動く限り続けて行きたいものだ。
年5回とは言わないが、せめて2,3回は・・・・。国分町で一杯やるだけでも良いけどね。

江戸からくる人は大変だが今後ともよろしくお付き合いくだされ。メンバーの皆様!。

3年ぶりにANK〜い倶楽部が復活した。

CA3H0001

昨日、ANK〜い倶楽部の仲間とプレーした。

前回、平成22年6月5日以来だから実に3年ぶりの事だった。

平成14年から毎年5回(3,5,7,9、11月)開催していた会も、時代の波と共にメンバーが抜けたり入ったりの変遷を経て、今は3人だけになったANK〜い倶楽部

メンバーの体調不良や仕事上の理由で平成22年7月のゴルフが中止になったのを機に、あの東日本大震災で吾輩が被災したこともあり、それからずっと再開されることがなかったのだ。

その間、一度もゴルフの話が出なかったのは、ゴルフへの意欲が無くなっていた被災者の吾輩に配慮してくれたから・・・・と理解しているが、みんなとは何回か国分町で親交を温めた事から、ANK〜い倶楽部自体が消滅したわけではなかった。

最近、この会の為にいつも東京から駆け付けるN氏が定年退職し、毎日が日曜日の身になった。会社経営のA氏はある程度時間に融通が利くようだから、後は吾輩が(ゴルフに対する)やる気を出せば良かったのだ、ANK〜い倶楽部の完全復活のためには・・・・。

ゴルフをずっと続けていた人。時々プレーしていた人。全然やらなかった人・・・。当然ハンディがあって当然だ。そう言えば、3年前はA氏を0にして、吾輩が13、N氏が16だった筈だが、今回は吾輩が12、N14と決め・・・られた。

でも、3年前のハンディが多いとか少ない・・・・なんて吾輩にはどうでも良い事である。一緒に遊んでもらえるだけで有り難いと思わなくっちゃ。

だから、今回はその嬉しさの方をスコアより優先したんだけど、わかるかなっ。

ANK〜い倶楽部復活は7月から?

昨日はANK〜い倶楽部の仲間と久しぶりの再会を祝福し、国分町で一杯やった。

ANK〜い倶楽部は、2010年6月5日を最後に仲間の体調不良等で定期的な開催をやめていたが、次の年に発生した東日本大震災を機に完全に活動を休止していた。

年に数回プレー・・・・、それも練習を満足にしないでいつもぶっつけ本番でやる環境下の吾輩()と、まだまだプレーできる体調ではないと思える東京の氏にとっては、とてもとてもANK〜い倶楽部復活!とはそう簡単にいかなかったのである。

それでも、ゴルフは出来なくとも親睦を深めるために国分町で一杯飲む事はできるので、その集まりが昨日、およそ9か月ぶりの再会だった。東京からわざわざ足を運んでくれる氏のため、せっせと喜び勇んで街に出かけるのだが、吾輩が国分町の雰囲気を感じる珠玉の機会でもある。

もう一人の仲間氏は、まるで銅像のごとく見事な赤銅色に日焼けした顔で現れ、ゴルフが出来な・・・・いややらない我々と違い、ますます腕を上げたんだろうなぁ〜と思わず顔を見合わす吾輩と氏だった。

日本テレビの某アナウンサーと結婚した娘さん(元中京テレビアナ)に5か月の子供がいるが、初孫なのになかなか会えないのが辛いと語る人材斡旋会社経営の氏。退職を機に中国語講座に勤しみたいと語る氏の息子は確かプロゴルファーだったかな。上場会社取締役でもある氏。毎日が日曜日のことMr.タックスは地位も肩書もないが、それでもいろいろと話は尽きないものである。

・・・・等々話も盛り上がり、最後に「7月7日にまたゴルフをやろう・・・・」と相なった。ANK〜い倶楽部復活である。

そんなこんなで楽しく過ごし、仲間と別れたあと現役のころよく通った馴染みの店を探した。国分町は知らぬ間に店の名前が入れ替わるので、これまで何度見つけられずに帰ったことか・・・・。偶然見上げたビルに店の看板を見つけたから入ることが出来た。一人でやっているママさんは、昔の会社同僚で5年半ぶりの再会だった。店は時間が止まったように昔そのままだった。
Archives
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

blogram投票ボタン
プロフィール

Mr.タックス

CMエリア
  • ライブドアブログ