ればたらブログ

真鯛釣りをメーンにLINEを通した友達作りに勤しむアクティヴ爺さんの気まぐれブログ。

2021年10月

今シーズン最後の青森・真鯛遠征

先週の18日に今シーズン最後となる青森・真鯛釣りに行って来た。

コロナ感染者が全国的に減少し『まん延防止』とか『緊急事態宣言』が解除された事で、大手をふっての青森遠征だった。

ただ、台風とかヤマセとか天候の崩れによる中止の心配はなかったのだが、季節外れの寒さは全くの想定外!。

南の方では30℃を超える真夏日が続いていたと言うのに・・・・。

途中の岩手山SAでは気温が2℃と表示され、青森でも出船時はおそらく10℃に届かなかったのは間違いない!。

冬装備にホッカイロを2枚貼り付けて乗船したけど、雨は降って来るし手は悴むし、久々に厳しい条件下での釣りだった。

でも、結果的に船中120枚を超える爆釣で終わったから、まずは良かった,よかった。

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例によって釣行の様子はアスパムチャンネルでどうぞ。

前編後編の2部構成だよ。

今回は、アスパムさんの知り合いで青森市内のフランス料理店オーナーのポミエさんとその友人を加えた11人での釣行だった。

定員一杯の人数なので釣り座に不安を持っていたけど、クーラーやタックルボックスなど釣り道具もすっきり収納できたし、さすが釣り船鯛将供また来年もお願いしなくっちゃ。

ちなみに吾輩の釣果は、65cmを筆頭に60cm台3枚と53cm、30〜40cm台が10枚だった。

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帰宅した次の日、大鯛3枚持って登米市へ向かい元魚屋の従兄弟に捌いてもらったが、カミさんも手間が省けてめでたし!目出度し!ってか。

あぁ、目出鯛。

恒例の里芋掘り

台風一過の日曜日、宝仙会(中学の同級生クラブ)のメンバー7人が集合した。

ヒロシ君の畑で里芋掘りをする為に・・・・。

新型コロナの流行で、定期的に開催していたランチも出来なかったから直接顔を合わせるのはほぼ1年ぶりだ。

ただ、LINEで連絡を取り合っているので懐かしさはそれほど感じず・・・。(笑)

全員集合とは行かず、テツオ君、トミちゃん、トシちゃんが来られなかったのは残念だった。

『まん延防止重点措置』が解除された事で、その内ランチも復活するだろうからその時を楽しみに待つとしようかね。

それにしても、ヒロシ君!毎年毎年我々の為の里芋作り?ご苦労さんで〜す!。

来年もまた頼んまっす。

それにしても、あんなに掘ったのにまだまだ残っているようだからもう一回集まる?。

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今シーズン2回目の青森・真鯛遠征

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夜越山ケビンハウスにて  写真by Aspam

先月末、青森・陸奥湾での真鯛釣り遠征に出掛けた。

7月に続く今シーズン2回目の真鯛釣りだった。

新型コロナウィルス感染症による『緊急事態宣言』や『まん延防止等重点措置』などで中止を余儀なくされたとは言え、シーズン2回はこれまでの最少記録である。

さて、今回の釣行は、真鯛釣り11シーズン目の吾輩にとって初となる2泊での釣行となった。

つまり、仙台を昼に出発して夕方に宿泊施設に入り、次の日早朝から夕方まで釣ってその日も泊まる2泊での行程だ。

これまでの夜中出発、早朝からぶっ通しで夕方までの釣行・・・・と比べれば、運転手の疲労軽減は勿論、寝不足の心配も無くなる事で、年寄りには大部楽な釣行だったのは言うまでも無い。

ただ、たまたま天候が良くて決行されたから良かったものの、出発後に釣行中止になった場合の宿泊先キャンセルとか・・・・他にリスクも・・・・。

まぁ、出船停止の連絡は出来るだけ早い時間帯に下され〜と言うしか手立てがありませんですなぁ。

さて、今日の本題に入るわけだが、詳しい釣行記録や釣果については、利用した遊漁船『釣り船鯛将供戮離屮蹈阿筺釣り仲間の『アスパムチャンネル』を参照して欲しい。

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上の写真(釣り船鯛将提供)は今回の釣果だが、何れも5gのSGヘッドに冷凍エビを餌にしてカーブフォールで釣ったものだ。
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 SGヘッド真鯛
55cm×2の他は小鯛数匹に終わってしまったのは残念だが、船中全体でも小ぶりの鯛が多かったのだから諦めも付く。

今月中旬に3回目の遠征を予定しているが、台風シーズンを迎えるだけに中止にならない事を祈るだけである。

最後の叔母が亡くなった!。

先日、叔母が94歳で亡くなった。

吾輩の母親の妹に当る叔母は14人兄姉の末っ子で、唯一の昭和生まれの生存者だった。

吾輩のじいさん・・・つまり祖父の一番目の妻との間に2人、2番目の妻との間に4人、そして祖母となる3番目との間に5人・・・・計11人。

さらに、再婚前に3人の娘がいた祖母が、その内の一人を連れて来たこと事もあり、多産だった昔とは言え、腹違い、種違いを合わせると兄弟姉妹は実に14人にものぼるのだ。

まぁ、祖母が残して来た2人は別としても、吾輩には小さい頃から12人のおじ・おばが居たのは間違いない。

その末っ子だった叔母の葬儀に、(叔母の)兄姉関係者で集まったのは吾輩だけである。

戦死や子供の時に亡くなった兄姉を除けば、叔母には7人の兄姉関係者が近隣に住んでいると言うのに・・・・だ。

喪主(叔母の二男)が、母親方の兄姉関係者に連絡しなかったのが一番の要因だと思う。

長男に替わって実家を引き継いだ二男は、長い間地元を離れていたので自分の母親の兄弟が何人いるのかもわからなかったようなのだ。

都会生活が長かったから、近所付き合いに無知な最近の風潮を表わしているのかも・・・・。

時代の流れと共に親戚の分布図が代わっていくのは致し方ない事だが、従兄弟(従姉妹)ぐらいまでは自分のルーツを確認しておきたいものである。

吾輩の実弟が傍にいたにも拘わらず、その実弟さえアドバイスさえ出来なかったのでは、何を況やだ。

我が家がおじ・おばの実家だと言うのに・・・・。

今後、増々世代交代が進み親類関係が疎遠になるのは仕方ない事だ。

ただ、我が家から出た母親の兄弟姉妹のルーツぐらいは、いとこ同士で共有しておきたいと願うのも事実なのだ。

※家系図作成中
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