ればたらブログ

真鯛釣りをメーンにLINEを通した友達作りに勤しむアクティヴ爺さんの気まぐれブログ。

介護・親孝行

おふくろの一周忌

11月15日9:37

昨年のこの日、おふくろが息を引き取った日時である。

早いものだ。

1年なんて・・・・。

一昨日の日曜日に身内だけで一周忌の法事を行った。

まぁ、法事と言っても、菩提寺の住職を自宅に来て貰い読経していただいただけだが・・・・。

終了後、卒塔婆をお墓に納め、予約していた『うまい鮨勘』で供養の食事会を行った。

みんな故郷を離れている関係で世間のような式辞はやれないけど、来年の3回忌は身内・・・・せめて孫たちくらいまで集めて供養をしますかな。

お盆にでも・・・・。

初七日が過ぎました・・・・

DSCN1087
15日朝9:37、おふくろが天命を全うした。

享年91歳だった。

仙台市の病院から地元の葬祭センターへ運んで、通夜から葬儀・告別式までの儀式を行執り行い、早いもので
昨日が初七日だった。

隣町の保健婦をしていた関係で、その街の葬祭会場で一切の儀式を行ったが、所縁有る多くの方々が焼香に来てくれて本人も嬉しかったと思う。

残念ながら、平成10年9月24日に一人で住んでいた自宅を出てから17年目の帰宅だったのに、自宅に戻れなかったのはさぞ心残りだったのでは・・・・。

国立病院で施術した際に脳梗塞を患い認知症状態となってから、6か月入院の後紹介された施設に移って16年8か月、合わせて17年2か月に及ぶホームでの生活だった。

90歳の誕生日まであと数日・・・・で逝ってしまったけど、体力が無くなったのはここ1,2年・・・・いや数ヶ月では無かっただろうか。

それまでずっと、現状認識が出来ないだけでずっと自力歩行できていたし、食事も介助なしで食べる事が出来ていたのだから・・・・。

施設の夏祭りで、家内と焼きそばやお好み焼きを食べたのが最後の孝行だったかな。

しかし、最近は高齢化による足腰の弱さが際立ち、移動は車椅子中心となり食事も介助が必要になって来ていた。

そして10月、検査で見つかった大腸がんの手術をしたのだが、間もなく90歳・・・・の年齢を考えると結果的にこの手術が大きく体力を奪う事になったと思われる。

我が家の近くの施設に入所していた事と、隣家との境界調停に絡み後見人に選任された事もあって、この17年間は吾輩と家内の二人でおふくろの面倒を見て来たのが実情だ。

おふくろが居なくなったことは寂しい事だが、カミさんもやっと週2日の施設通いから解放されたわけだから、カミさんへ長期旅行をプレゼントしたって罰は当たるまい!。

なぁ、おふくろさんよ!。

安らかに眠りたまえ。合掌!。

何とか誕生日が来るまで生きながらえてくれれば・・・・。

12日におふくろが再入院した。

前日熱を出してから今朝になって食事が出来なくなった・・・・と言うより食べなくなったと言う。

先月、直行結腸癌(大腸がん)の手術を受けてから急激な体力低下を感じていたのだが・・・・。

病院での検査では特に大きな異常はなく、脱水症状と蛋白質不足が顕著だと説明を受けた。

そのまま入院となり、入所していた施設へ行って退所手続きを行った。

13日に担当医師から、「右下肢部の動脈が一部閉塞されていて足首に血液が行き渡っていない」と言われた。

高齢でもう手術が無理な事から「点滴で徐々に溶解する方法をとる」とも・・・・。

ただ、本人の静脈が細く弱いので中心静脈にカテーテルを挿入する方法しかもう点滴確保するヶ所が無いとも説明された。

そして今日、朝6:00に病院から携帯に電話があった。

体調が急変したのですぐ来てくれと言う事だったので、取るものも取らず家内と病院へ駆けつけた。

兄弟にも連絡を取り、登米市の弟をが来たので以降夕方まで3人で代わる代わる付き添いをした。

「本人の心臓が強そうなので、今すぐどうのこうのではないが、血圧が低下したので一応家族に連絡した」と、看護師から説明されたが、確かに到着した時は血圧が70−42まで低下していて、呼吸も苦しそうだった。

その後40−31ぐらいまで下がった時はもうだめか!と覚悟を決めたが、夜8時頃には64−42くらいまで上昇して一応の安定を見たので少し安心する。

それでも数値的には危険な状況なので予断を許さない事に変わりなく、今月27日の90歳の誕生日まで、何とか生きながらえてくれれば・・・・と思うしかない。

また明日も病院へ行くことになるが、朝から晩までずっと付き添い出来るわけもないから、「何かあったら連絡ください!。20分で駆け付けます・・・・」と告げて帰宅した。

17日のテンヤ1日船は当然キャンセルした。仕方ないよな!。

おふくろが退院し、元の施設へ入所

大腸がんの手術で入院していたおふくろが退院した。

およそ、ひと月ぶりである。

10日ほど前に退院許可が下りていたのだが、受け入れ先が満床で空くまで待っていたのだ。

16年もお世話になっている施設へ戻ることが出来て本当に良かったと思う。

入院中に、足のむくみを矯正する?靴下みたいなものを両肢に履かせられていたが、そのせいでもないだろうが入院前の半分くらいに細くなっていたのにびっくり!。

カミさんが「お義母さんは前から肢は細いのよ」と言うが、あの細さでは上半身を支えて立ち上がる事さえ難しいのではないかと思うほどの細さなのだ。

入院前はベッドから立ち上がってポータブルトイレに座ることが出来ていたのに、ベッドに1ヶ月も寝たままだったし、肢も細枝状態ではこのまま寝たきりになってしまうのだろうか?。

高齢ではあるがまた元気になってまた以前のおふくろに戻ってほしいと願っている。






ストーマ用品?

ストーマつまり人工肛門の事をこう言うらしい。

このストーマ用品購入の為、久しぶりに仙台の街中(まちなか)に出掛けた。

(おふくろが)入院している病院から街中にある〇〇薬局を推薦されたのでそこから購入する事になった為だ。

病院と〇〇薬局は距離的にも近いしリベート的な意味合いの何かが介在する事で推薦されたと思うが、わざわざ街中に出掛けなくとも距離的にも時間的にも近い薬局があったんだよなぁ・・・・我が家からは。

まぁ、少々の時間的・・・いや費用的?ロスが生じても、時々カミさんと街中に出掛ける口実が出来たのだから、あまりそんなことは考えない事にしたい。

さて、その街中の専門店に行って驚いた。

ストーマ用品はいろんな会社から供給されていて実に2000種類も有ると聞いた。

だから、病院から推薦された店で紹介された品物を購入する・・・・と言うのもあながち間違いではなさそうだ。

そもそも、吾輩がこのストーマ用品を購入することになったのは、病院から、「ストーマ用品はこれからは家族が準備して下さい」と告げられたからである。

おふくろのように施設に戻る(予定の)患者も居れば、自宅に戻る人も居るのだから、「退院したら後は個々に準備してくれ」との病院の考えには納得できる。

高額なストーマ用品購入費用の補助を受けられる身体障害者手帳取得の件もあるから・・・・。

もう、退院許可が出ていていつでも施設に戻れる体制になっていても、肝心の施設に空き部屋が無いんだよなぁ!。空き部屋が・・・・。
Archives
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

blogram投票ボタン
プロフィール

Mr.タックス

CMエリア
  • ライブドアブログ