Mr.タックスのればたらブログ

真鯛釣りをメーンに、ボウリング・ゴルフ・LINEを通した友達作り勤しむアクティヴ爺さんで〜す。

日記・独り言

まだまだ若いのに・・・・

昨日は通夜。

今日は葬儀・告別式に参列した。

亡くなった故人はカミさんの父親の妹の子・・・・つまりカミさんとは従弟に当る。

某水産卸売り市場でマグロ関係の仲卸店を営んでいた彼は、人当たりの良さから多くの人に愛された人気者と聞く。

市場のみならず多くの分野に参画しトップリーダーとして地域の発展に寄与した事は、市長の哀悼の挨拶からも十分に推測出来た。

それを裏付けるかのように、昨夜の弔問客は会場に入りきれず外部に溢れる出るほどの大人数だった。

6月に彼の父親が亡くなった時は喪主として気丈に振舞っていたが、その頃から病気が進行していたようで、誰の目にも痛々しさが見えていた。

ただ、あれから5ヶ月と言うわずかな間に父親の後を追うなんて・・・・。

想定もしていなかっただけに、ホントに残念でならない。

65歳になった次の日に天に召されたと聞いたが、運命って何と残酷なんだ!。

人生100年の時代に、若者が逝くにはちょっと早すぎるんじゃないか。

願わくば、年老いた親より先に逝ってほしくなかったよ。

ここ20年ぐらいは家内の実家で行事があっても、おばさんの送り迎えだけですぐに職場へ戻っていたから酒を酌み交わす事も無かったのが心残りである。

若い頃、松島国際ccのショートホールにホールインワンの記念樹が植えられていたのを見て、「すごいね!」と言ったら、「たまたま転がって行って入ったんです」とはにかんだ姿が忘れられないなぁ。

ご冥福をお祈りします。


今年も干し柿を吊るしたよ!

先日開催されたK−1・1会に出掛けた折に柿を貰って来た。

堀込君からは120個ぐらい。

高橋君から種類の違う蜂谷柿を60個ほど貰った。

ここ数年続く恒例の事だが、今年は柿も豊作のようで昨年の倍以上の数だ。

干し柿にするため、カミさんと半日掛かりで皮むきをしたけど、飽きて来て30個ほどは焼酎で渋抜きすることに。

我が家はコンクリート住宅だから、軒下に干そうと思っても軒が無い!。

仕方ないから車庫に干すしかないのだ。

それも、物干し竿を利用して・・・・・。

これまでもそうして干し柿を作って来たから、まぁこんなものかな。

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8年ぶりのTDL、年寄りは疲れるわぁ・・・・

8年ぶりにTDL(東京ディズニーランド)へ行って来た。

まぁ、普通ならディズニーランドへ行こう!なんて考える余裕もないのだが、きっかけはカミさんが某製パン会社のプレゼント企画に応募し当選した事である。

賞品としてペア入場券と5,000円分の商品券が贈られて来たからだ。

しかし、入場券が届いたからと言って年寄り二人だけで行くなんて!まず無理だ。

当然、娘に声を掛ける事と相成る。

前回、一緒に出掛けた娘夫妻の他、今回は孫・大翔君(8歳)も同行した。

連休に秋休みが加わって、絶好の日程になったから・・・・。

孫は5歳の時に一度行ったと聞いたが、ほとんど記憶にないようだった。

だから、先日迎えたばかりの誕生日祝いを兼ね、いっぱい楽しませてあげようと思った。

まぁ、孫からは逆にお荷物扱いされる嫌いはあったかも知れないなぁ・・・・。(笑)

ところで、長男家族も一緒に・・・・と考えなかったわけでは無いよ。

ただ、休暇取得の問題もあったし、なによりまだ3歳と5歳の孫では(親が)ちょっと厳しいだろうと、今回は見送った経緯がある。

7日の夜中に自宅出発し、常磐道経由で朝方5:00前にはディズニーシーの駐車場に到着。
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娘夫婦、特にパパさん(娘の旦那)は若い頃から何度も足を運んでいるようで、このリゾートを知り尽くしたマニアみたいなものだから非常に頼もしい限りだ。

〇〇〇のファストパスを取るには△△△の入り口からダッシュして・・・・」等と、入場門前に寝袋を持ち込んでの場所取りから始まった。
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門の前はあっという間に人で埋まり、開門(7:55)と同時にファストパスを取ろうとダッシュする光景は前回も同じだったなぁ。

人種のルツボと化した人!ひと!ヒト!。

次から次へとぞろぞろ押し寄せるのだった。

ハロウィンだから、奇抜なファッションで闊歩する若者や、いい歳こいたおばさんも多数。(笑)

日本人には受け入れがたいタトゥをこれ見よがしに見せびらかす外国人の男女!。

いろいろ意味不明の言語が飛び交う光景に、8年前と比べ外国人が圧倒的に多い事に気づかされた。

これじゃ休日も平日も関係なく混むわけだ!。まったく!。

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入場してすぐ、5分も待たずに最初のアトラクションタワー・オブ・テラーを見学する事が出来たのは幸運だった。

トイレに行ってたら、カミさんが慌てて迎えに来たほどのわずかな時間内に人気のアトラクションに入れたのだ。

その後は並んで待ったりファストパスを利用して、アトラクションの好き嫌いに関わらず、入場できたものはすべて孫と一緒になって楽しんだ。

タートル・トークトイ・ストーリー・マニアアクア・トピアニモ&フレンズ・シーライダーインディジョーンズ・アドベンチャー海底2万マイルセンター・オブ・ジ・アース・・・・。

他にもミッキーがドラムを叩くショー(ビッグバンドビート)を見たけど、全体的には8年前と変わらないアトラクションも多かった。

開場35周年を記念した花火の終了と同時に退場し、外資系のコンフォート・スイーツ・東京ベイホテルにチェックインした時はすでにpm10:00を過ぎていた。

2日目はディズニーランドを楽しんだ。

前夜遅かった事もあるが、ホテルからの送迎バスを利用した為、ゆっくり目の入場となった。

すぐにパパさんがファストパスを取りに行ったが、やはり遅い入場だった事もあり12:00近くの時間帯となっていた。

それでも、110分待ちのスペース・マウンテン以外は他のファストパスを利用したり15分〜最大70分の待ち時間を並んでビッグ・サンダー・マウンテンスプラッシュ・マウンテン等の乗り物やアトラクションの殆どを見学できた。

さすがに終盤は足がパンパンになって疲れが出たから、我々はアトラクションを二つほどキャンセルして土産屋へ・・・・。

ディズニーランドは、大人向けのディズニーシーと比べると子供向け施設が多くて、やっぱり迫力に欠ける嫌いはある。

それだけ子供連れが多いのか入場者はディズニーシーより断然多い。

だから、アトラクションを見るのも食事処で飯を食うのも買い物するのも、もう苦労の連続だった。

二日間で歩いた距離は、いつものウォーキングの比じゃないくらい多かった。

孫は、耐える、我慢する!を、身をもって感じたと思う。

我々にも、時間と言うものがこんなに遅く流れるものか?と感じさせられた二日間でもあった。

送迎バスでホテルに戻ったのは23:00少し前。

昼はターキーを食べただけで、飯を満足に取らなかった・・・・いや人が多くて取れなかった。

ホテル内のローソンで買ったおでんやツマミで一杯やったら、寝たのは午前0時半を過ぎた。

翌朝、10:00にホテルを出発し16:00無事帰宅したが、足は棒の様になっていた。

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佑・・・佐・・・右と左の違いはあるけど・・・・

2018年のノーベル医学生理学賞を京都大特別教授の本庶 佑氏が受賞した。

日本人としては26人目、英国籍のカズオ・イシグロ氏を含めると27人目の受賞だと言う。

受賞理由や彼の人となりを改めて述べるつもりはないが、ノーベル賞なんだから素晴らしい成果を上げた人であることは間違いない。

吾輩が言いたいのは彼の名前の読み方である。

人偏に右・・・・と書いてたすくと読むそうだ。

なかなか簡単に読める名前ではない。

しかし、吾輩は戸惑うことなくすぐに読む事が出来た。

なぜなら、かく言う吾輩の名前も何を隠そう人偏に左・・・・と書いてたすくと読むのだから・・・・。

人生70年の間、吾輩の名前を正しく読んでくれた人はあまり多くなく、世間的にも数少ない部類に入ると思っていた。

それが本庶 佑氏がノーベル賞を受賞したおかげで、名前が多くのメディアによって拡散し、世の中に知れ渡ることになりそうだ。

つまり、右と左の違いはあるけど、多分吾輩も「たすく」と読まれる事が多くなるから、認識度は格段と上がると踏んで間違いなさそうだ。

ちなみに、本庶氏の奥さんの名前は滋子さんと言うのだとか・・・・・。

まったく奇遇だが、吾輩のワイフもしげ子と言うんだよね。

たすくしげこ

この名前のカップルって、おそらく日本には2組しかいないと思うが、如何だろう?。

これって、もしかしてノーベル賞もの!?。

もう昔の姿は見るべくもないなぁ。

先日(7/31)、高砂橋から蒲生干潟方面への県道が開通した。

東日本大震災で壊れた堤防の復旧と嵩上げの為、ずっと通行止めになっていたのだ。

2年ぶりくらいだと思うが、その後、どうなっっているのか気になって足を向けた。

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干潟方向への入り口


堤防は堤体全部がコンクリートブロック板で覆われ、草木は一本も生えていない。

立派な道路が出来た事で堤防と平行に走っていた和田堀は消え去ってしまった。

和田堀は我が家の南側を通って、もう少し下流で七北田川につながる小さな水路・堀なのだ。

少々の雨なら問題は無いのだが、豪雨になると排水しきれなくなっていつも浸水の原因となっていた。

新設された西原ポンプ場へ直接接続された事で、下流側の水路が撤去されたのだろう。

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七北田川下流側から撮影

塩竈・閖上街道の東側にあたるこの地区には、蒲生・港・西原・和田の各行政区があった。

海岸からずっと平坦な土地が続いていた事もあって、津波で多くの家屋が破壊され犠牲者も多く出た地区である。

今は数軒が自宅を補修して居住しているが、ほとんどが県道西側の共同移転地などへ移った為、土地を買い取った仙台市が工業用地等の造成をしている。

中野小学校は暫らく近くの小学校に間借りして存続していたが、2年程前に閉校となった。

その小学校跡地に学校の沿革などを記した記念碑が建っていて、傍らには、津波で亡くなったこの地区の方々の慰霊碑も建てられていた。

和田区に住んでいて津波で犠牲になったカミさんの母・・・・義母の名前も刻まれていた。

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小学校跡地に建立された記念碑

震災後、この地区全体が津波危険区域に指定された事もあり、カミさんの実家では土地を売却し移転した。

だから、もう関係ないと言えば関係ないのだが、昔、堤防からカミさんの実家へ向かう道路が今はその跡形さえ無くなった事に哀愁を憶える吾輩である。


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中央付近にカミさんの実家があった。

長女も結婚してすぐ、この付近のアパートで暮らしていたが、震災の数か月前に引っ越していたので難を逃れた。

住んでいた部屋は見るも無残に破壊されていたからねぇ。

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手前の更地にアパートが建っていた。

もともと堤防脇の道路左側にあった地蔵さんが、なんと堤防下の側道に鎮座していたではないか。

地元住民が昔から大事にして来たお地蔵さんだ。

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お地蔵さん

小学校跡地から奥はまだ工事中で規制されている。

我が家からここまで往復すると丁度1時間なので、これからは散歩コースの一つに加えようっと。
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