Mr.タックスのればたらブログ

真鯛釣りをメーンに、ボウリング・ゴルフ・LINEを通した友達作り勤しむアクティヴ爺さんで〜す。

2010年01月

水族館が建つのは良いんだけど・・・・


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水族館移転の話題がしばらく音沙汰無かったので、「どうしたんだろう?」と思っていたら、やっと資金繰りに目処がついたようで最近また新聞を賑わし始めた。

仙台市が10億円の資金援助を決めるなど、市が所有する高砂中央公園整備地区への移転はほぼ確定し、当初の計画より遅れているが平成12年3月の開業を目指すのだと言う。

通称産業道路と県道仙台港鶴ヶ谷線に囲まれた一角が移転予定地になるが、我家から僅か600mの距離でしかなく、いつか孫と一緒に魚と戯れる夢を見る吾輩としては便利この上なしなので一日も早い開業を待ち望んでいる。

ただ、そんな集客施設が多く建つといろいろ困る事が出てくる。その一つが交通渋滞である。

今日も、29日にオープンした東京インテリア仙台港店のせいで、周囲の道路は二進も三進も行かぬぐらい渋滞し、我家から多賀城方面に向うのにわざわざ大きく迂回しなければならぬなど散々な一日になった。

夢メッセで開催された東北蘭展へ向う車も多かったとは言え、今からこんな状況では水族館が出来たらどうなるか?・・・・とても先が思いやられる。水族館予定地付近では東部道路の仙台港インターも工事中で、北部道路が東北道とつながった暁には、益々車が多くなるのが懸念される。

だから、便利になるからと喜んでばかりは居られないのだ。ホント!。

とても心配しているんだ。ホントは!。

友人に有名な俳優・某の義父がいる事は以前この欄で取り上げた事があるが、いつだったかホームぐグランドで釣りをしていた時、携帯に「俺の命もあと3年だって・・・・」と消え得るような淋しい声で電話が掛かってきたのを最後に連絡が途絶えていた。

彼の息子(奥さんの連れ子)は有名な俳優・某と言うことは薄々知っていたが、その俳優・某が出演した映画もテレビも観た事がないからその本人の事は全く知らず、暫らく同じような名前のリポーター?と勘違いしていたほどだ。

ただ、平成19年5月に御宿で行われた同級会の時、いろいろ話した中で彼本人の話しから断片的にぼんやりと理解できたが、それでもやっぱり詳しくは知らない我輩だった。その俳優・某がRIKA〇と別れたとか・・・可愛い孫がどうのこうのとか言っていたな・・・・そう言えば。

その俳優・某は仕事の場をフランス・パリに求め、主に舞台で活躍していたようだ。だからその関係で彼ら夫妻は時々しょっちゅう渡仏していたと言う。いま思えば何度連絡しても繋がらなかったのはそのせいだったかも知れない。

ところで、釣りをしていた時に掛かってきた電話の内容は、彼がフランス滞在中に体調をくずし現地の病院で検査を受けたら「あと余命3年・・・・と告げられた」と言うショッキングなものだった。

いくら友人でも急にそんな生死に係わる話をされたってどうしたら良いか返答に困り、何を話したかあまり記憶がない。「しっかりしろ!、頑張って生きろよ!」ぐらい言ったのかさえ分からない。

あれから間もなく2年近くになる。住所が変わり年賀状も届かなかったし、携帯番号も変わっていた。連絡がとれないのでずっと彼の近況を知る手立てがなかったのだ。

最近になり、あのあとすぐ手術をし透析(?)をしている事を風の便りで知った。元気でいる事にひとまず安堵する我輩だが、電話番号を調べて電話したくとも、何と言って慰めの言葉を掛けたらいいのか分からず躊躇しているチキンハートの自分が情けないと思う。ホント!。

とにかく参加してみるか!

jpg町内会の親睦ゴルフコンペの案内をもらった。

それも会話さえしたことがない隣家の旦那が持って来た。

参加者募集用チラシに第2回と書いてあったから今回が始めてのコンペではないようだが、前回がいつ開催されたか知らないし、案内があったのかさえも全然記憶がない。だから、多分第1回目は非公開で行われたに違いない。

以前から、隣近所の方々との付き合いが皆無な我輩としては、すぐ隣にすむ方々の顔も知らない状況を打破すべく、何かしらのきっかけを待ち望んでいたのは確かである。

歳を重ねるにしたがい『遠くの親戚より近くの他人』を意識するようになった今、特に地震や津波などの自然災害が心配される地域の一員として隣人とコミュニケーションを図っておく事は、高齢社会で生き延びていく上でも絶対に必要な事だと思っていた。

それがいきなりのゴルフコンペとは・・・・。

ゴルフはほとんどの方がやっているわけでもないから、全員とコミュニケを取れる訳でもないが、それでも同じ班内の方(幹事)からの案内なので取り合えず参加してみる価値はありそうだ。

ただ、最近、五十肩(六十肩?)で満足に左肩が上がらない我輩としては、出来るならもっと丈夫でかつ若かりし頃に誘いをうけたかったなぁ。

いくら親睦ゴルフとは言え、初めて顔を合わす人たちに無様な姿をさらしたくない気持ちが強いからだが、それでも参加することによって今後のライフスタイルに大きな転換をもたらせればそれで良しとしよう。

やっと食事が美味しくいただけそうだ・・・・・

ここずっと知覚過敏症と歯痛で悩んでいたが、今日思い切って神経(歯髄)をとってもらった。

やっと痛みから解放され、ほぼ半月ぶりに美味しく食事がとれそうだ。

痛みがひどいからと神経(歯髄)を抜くのは歯の寿命が短くなるからあまり良くないらしいが、とりあえず目先の事を考えない我輩としては、おまんまを美味しくいただける事に感謝あるのみである。

思えば・・・・。

酸っぱい物や甘い物を食べると時々沁みる程度だった知覚過敏が、冷たい水だけでなく息を強く吸い込むだけで延髄に達する痛みを発するようになっていた最近、老化現象に追い討ちを掛けるように奥歯を2本抜歯した事もあって、せっかくカミさんが作ってくれた食事を満足に味わえない味気ない食事が続いていた。

つまり固い物は噛めないし熱いのも冷たいものも歯に沁みて駄目だった。まして食事に倍の時間が掛かるなんて・・・・。

『満足に食事ができないくらい辛い事はない』と、ほとんどの人が思う事だが、まして、お金がなくて食べられないならいざ知らず、カミさん自慢?の美味しい手料理(そう書いておこう)を目の前にして・・・では尚更そうに違いない。

しかし自分ではまだまだ丈夫な歯を持っていると自覚していたのに、あっと言う間にガタガタになるとは全然思いもしなかったなぁ。虫歯が1本(あるいは2本?)だけしかないし、ずっと何年にも亘り定期的にメンテナンスを受けていただけに・・・・。

まぁ、老化現象のせいもあるが若い頃の不摂生の付けが今頃急に・・・ってか?。

我が家の歴史を書く

20100117rekisi居間のボードで我が家の歴史を書き込んだ本を見つけた。

まぁ我が家の歴史と言っても、私が生家を出て新しい家庭を築いてからだから、そんなに古い時代の記録ではない。

たかが34,5年間に至る我が家の出来事つまり歴史を、後世?に伝え残そうと書き始めたつもりだったが、その内この本の所在さえ忘れていたのだった。

昭和51年(西暦1976年)に結婚した時から新しい歴史が動いた訳だが、最後の記述は平成5年に家族で北海道旅行に行った記録で終わっていた。

つまり、それから今日に至るまでのおよそ17年間に亘る我が家の出来事は全然記録されていないのだ。

せっかく書き古しの本が出てきたんだし、どうせ暇だからと早速古い日記帳(ダイアリー)を探しあてパラパラめくって見たら、家庭が平和なのか夫婦円満なのか知らないが、歴史に名を残すほどの出来事がそうそうあるものではない事を知った。

子供が学校へ入学や卒業したとか、住居表示で住所が変わった、あるいは永年勤続表彰された副賞を利用して家族でハワイ旅行した事・・・ぐらいしか我が家には大きな出来事がなかったのだ。

カミさんと大喧嘩した事なんか歴史に載せる訳には行かないが、昔の日記帳を見ていたら「それが亡くなったのはこの年かぁ!。もう〇〇年経ったんだなぁ・・・」等と改めて思い出されからやはり記録は大切だと思う。

だからこんなちっぽけな家族の歴史書であっても、我輩が生きた証として子供たちに伝わればそれで良し!としたい。耳で聞いただけでは忘れてしまうんだから・・・・。

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